言葉の暴力

PTSDの癒しの方法   言葉の暴力


「のろま,馬鹿」。日本のある女性はこの言葉を忘れようにも忘れられません。
幼いころ,たびたび 浴びせられた言葉だからです。だれから言われたのですか。
学校の友達からですか。それとも,兄弟からですか。いいえ,親からです。
この女性は当時を振り返り,「心につき刺さるようになって,落ち込むような
時がありました」と述べています。

米国のある男性は,子供のころ,父親が帰宅する時はいつも,恐れと不安を
感じたことを覚えています。
「今でも,私道に入ってくるタイヤの音が耳に残っています。考えただけで
ぞっとします。妹はどこかに隠れたものです。父は完全主義者で,すべきこと
がちゃんとできていないと言って,いつもわたしたちをどやしつけました」。

この男性の姉はこう言い添えます。「両親のどちらかがわたしたちを抱き
締めてくれたり,キスしてくれたり,『愛している』とか『お前のことを
誇りに思う』などと言ってくれたりした記憶はありません。
子供にとって,『愛しているよ』と一度も言ってもらえないのは,
『お前なんか嫌いだ』と毎日言われるのと同じことなのです」。

「悲しみのうちに成長する」という本によると,少し前まで医師たちは子供
のうつ病など存在しないと考えていました。しかし,時がたち,経験が増す
につれて,そうではないことが明らかになってきました。今日,子供の
うつ病は認められており,決して珍しいものではないと,この本の著者たちは
断言しています。その原因に含まれているのが,親からの拒絶と虐待です。
こう説明されています。「親が子供に絶えず批判や屈辱を矢継ぎ早に浴びせて
きたケースもあれば,親子関係にまさに溝がある,つまり,親が子供に対する
愛を決して表に出さないケースもある。……そうした親を持つ子供たちの結末
は特に悲惨である。というのは,子供にとって,またこの点では大人にとっても
,愛というものは植物にとっての日光や水のようだからである」。

 親が愛をはっきりと率直に示すなら,子供は自分が愛らしい価値ある存在
であるという重要な事実を学びます。自分についてそう考えることを,一種
のごう慢さ,つまり他の人以上に自分を愛することと取り違える人は少なく
ありません。しかし,この文脈ではそのようなことが言われているのではあ
りません。
 ある著述家はこの問題に関する自著の中で,こう述べています。「子供が
自分自身をどう見るかは,子供がどんな友達を選ぶか,他の人とどのように
うまくやって行くか,どんな人と結婚するか,どれほど成功するかに影響を及ぼす」。

こうした経験は、親は自分自身のように子供を愛して言葉を優しく、愛情を込め
使う必要を教えています。